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(C) TEGAKI YUZEN - NAKAKO
 
 
 
5月28日から6月6日の10日間、東京友禅研究会のメンバーに同行して、パリで展示会を行ってきました。
 
場所はパリ4区、パリ市庁舎の近くのギャラリーテンデンス、友禅染展示と染めの体験講習では講師も務めさせて戴きました。
 
約15年ぶりの海外の旅、初ヨーロッパ大陸を踏むという、 私にとっては一大イベントとなりました。
 
帰国して早1ヶ月になりますが、いまだ夢の途中と感じることもあります。記憶が褪せないうちにパリ展の報告をいたします。
 
友禅で仕事にするようになったら海外でも展開したいと思っており、 こんなに早く実現するとは思っていませんでした。
 
友禅染の講師を務める時は着物或いは自作のワンピースを着用しました。 帯は自作のものです。 
パリで着物を着る、という日常にない体験に大変気分が高揚しました。
 
 
みんなで着物を着てシャンゼリゼ通りを歩いたり、ノートルダム寺院を観光していますと、写真を一緒に撮らせて欲しいというお声を沢山頂きましたし、小学生低学年ぐらいの女の子達から「KIMONO!!」と食い入るように見つめられたり、背後から観光客と思われる10代の女の子に「あなたのドレス好き!」と声を掛けられ、一回りして披露したり。

 
古い建物や歴史的建造物に負けない着物姿は画になります。

着物は日本の民族衣装ですが、それを日常でも着ている人がいることは世界的には珍しいことであり、海外を訪れる時にわざわざ民族衣装を持って行くこと事態、その国に対する敬意にも受け取られると思いました。
 
また、「KIMONO」に対して素直に喜んでくださるかたに出会えることがこれまた素直に嬉しいと思えました。
 
実は家をでる瞬間までトランクとは別に用意していた和装セットのバッグを家に置いて行こうかと迷ってました。
 
何故なら…そもそも旅は嫌いだからです。
 
荷物の準備も荷解きも苦手です。勿論重い荷物も運びたくありません。
 
観光もさほど興味もなく、頭は出発ギリギリまで制作のことばかりでしたから。
   
ただ、観光よりもその土地に1年ぐらいは住んでみたいと思う天邪鬼的な興味は備えております。
 
訪仏の準備も疎かで、何の期待もしていなかったのですが、その分訪れた時の感動はいつまでも余韻が残り、どんなに些細なことでも喜びも大きく、感情豊かに過ごせたような気がします。
 
滞在中はパリ4区のサン・ルイ島でアパートを借りて過ごしました。
 
セーヌ河の中洲にできた島で貴族の館が残る閑静な高級住宅地です。
 
島内の建物は16、17世紀中に建ったものばかりです。
 
静かで治安も良く、パリの中心部ですから移動にも非常に便利でした。
 
パリでの滞在が快適だったのもこの立地のお蔭だったと言ってもいいほどです。
 
現地のスーパーで買い物をして夕飯は自炊。たまに洗濯もしながら、短期スティの「住む」感覚で過ごせたことはリラックスに繋がりました。
 
毎日パリの街並みに酔ってしまい、疲れていても気分は盛り上がる一方でした。
 
毎日気分爽快で居られた理由の1つに、ゴミが少ないという感想を持ちました。
朝から清掃車でパリの街を一掃してくれます。
 
勿論私達が滞在したアパートの前の通りも、です。
パリは19世紀後半に上下水道が整備され、現在のような道路に変化しました。
道の中央が高く造られ、車道と歩道の境にある段差から水が溢れ、川のように高低差で流れていくのです。
ゴミ回収だけでなく水の清掃もある訳です。
 
建物が素晴らしいだけでなく、清掃という面でも行き渡ってました。
 

パリ市内は古い石造りの建物に石畳の道、その街並みは映画そのもの。
 
中世の映画をよく観ていた時期もあったので、現実のパリに驚きました。
 
映画のセットの中に滞在しているような、どこを歩いていてもタイムスリップしたような感覚です。

 
景観の良い街が私の心理に及ぼす影響は、かなり大きかったようです。
私にとってパリは「夢の覚めない街」でした。
 
もし、私の住む熊本で、お城とその周りの一帯が武家屋敷で小京都のようだったら…
と想像してしまいました。
 
パリと京都が似ていると皆が口にしますが納得です。
 
「誇り」という言葉が似合う街だと思いました。
 
同行したメンバーに私の呟きが洩れてしまったか憶えていませんが、
「幸せだなぁ…。」という想いが自然に湧き上がり、そんな想いでパリを歩いていたのでした。
 
簡単に「幸せ」と書いてしまうととても安っぽく、そんなありふれた想いではないのですが…。
言葉にしないほうがいい感情と感激と言ったほうがいいかもしれません。
 
ぼんやりと…
戦禍を逃げ惑うこともなく、明日の食べる物の心配もなく。
「ボンジュール」と挨拶すれば、レジの相手も言葉と笑顔で返してくれる。
言葉は違えど、世界共通の何かは「笑顔」なのかもしれません。
 
現地の食材を食べ、舌が喜ぶ味も堪能できました。
フランスの家庭料理の美味しさにも驚きました。
日本のお菓子に勝るものはないと思ってましたが、
パリで頂いたデザートは後味が良く胃にもたれることもなかった気がします。
まして、パンの美味しいこと!
 
岸恵子さんが通ったパン屋さんのクロワッサンも感動する美味しさでした。
岸さんはかつてサンルイ島に住んでいらっしゃいました。
 
果物も酸味と甘さのバランスが良いと感じました。
普段の生活で戴く果物に酸味があると気分がキリリと引き締められるといいますか、
気分や行動に起伏をもたらすような感じがいたします。
 
日本にいる時の私は食事は1日2食で済ませていましたが、
パリでは3食キッチリと頂き、湿気の少ない気候と相まってより食事が美味しく感じられました。
甘いお菓子もお試しと称して沢山頂きました。
どんなに食べても、よく歩きますから日本に戻っても体重は変わりませんでした。
 
パリジェンヌが太っていないのは歩くことに一理あるのではないかと思います。
 
歩くスピードも速くて大股だったような気がします。
パリジェンヌがお洒落に見えるのは服装だけのことを指しているのでなく、姿勢が美しく、堂々とした様子が何ともカッコいいのだと思いました。
 
パリジェンヌが友達とダラダラと歩いている様子は見かけなかったような気もします。
 
服装もさりげなく、色合いもシックで雰囲気がいいと言いますか、
自分にあったお洒落を工夫されているように感じました。
似たような恰好をしている女性を見なかったと思います。
 
個人主義と自立がフランスの自由を象徴しているような気がしました。同時に自分の時間を大事にしているように見受けられました。
 
パリでは日本のような至れり尽くせりのコンビニエンスストアは存在しません。
 
だからこその生活スタイルがその国全体の空気となっているのかもしれません。ゴミが少なかったのもそのような理由もあるかもしれません。
 
 
 
美しい街並みに等しいライフスタイルが存在していると感じました。
 
パリの建物や内部装飾の細かさや美しさは大変素晴らしいものでした。
 
日本ならば日本建築、仏像彫刻、伝統工芸の細やかさと比較できますが、日本では観光地の一部にそれを見学することはできても、日常生活の中でそれらを目にすることが少ないと思います。
 
古い街で新しい店舗を改装するにしても、厳しい規制がありそれを守らなければなりません。
(例えば、前の店舗の名前やメニューがガラスに書かれていたとしても消すことはできない、など)
 
それはこれまでの歴史や人々の息吹を消すことがない、そう捉えることもできます。
 
「夢が覚めない街」とは、景観がどこまでも保たれているという意味なのでした。
 
「見えない部分に魂が宿り続けている」
「見えない部分にも美を求める」
 
細部と全体、そこにに住む意識の調和を感じました。
 
初のパリ展示会は観光も十二分に楽しみ、「生きたパリ」を視てきた気がします。
 
眼に自然と入る建築物
 
日々の暮らしに良質なバターを使ったパン、シンプルな味付けの野菜、後味の良いデザート
 
毎朝一定の時間に鳴る教会の鐘
 
サラリとした心地良い空気
 
朝の清掃後の水の匂い
   
五感がフル活動したような印象のパリでした。

 

右手に携帯、左手にデジカメを持って恥ずかしいほどに写真を撮っていましたが、まだ肌寒い季節に観光の際はポンチョがあれば助かるなぁと思いました。

 
次はシワになりにくい鬼しぼ縮緬の生地でポンチョを染めて、旅も楽しみ、寒さ対策と友禅染の披露を兼ねて欲張りたいと思います。
 
テロにも巻き込まれず、スリにも狙われず、病気も事故にも遭わず、両足に歩き過ぎの傷はつくったものの成田に着いた時はホッとしました。
 
熊本に戻り、パリの夢冷めやらぬ頃、思い出して本棚から取り出したのは、
 
「私のパリ 私のフランス」岸惠子著
「ベアトリス夫人の美しい生きかた」伊藤緋紗子著
「シャネル 20世紀のスタイル」秦早穂子著
 
いずれもフランスにまつわるお話で、本購入時期はかれこれ10年以上昔です…
フランスに興味を抱いてから随分時間をかけた訪問でした。
 
きっと「続」があると信じて一先ず「完」

 
     
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